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TUEWEDTHUFRISATSUNMON

マヤの預言とコズミック・ダイアリー2013
マヤの預言とコズミック・ダイアリー2013 302ページ 2,800円(税込)
柳瀬宏秀著

2012.7.26-2013.7.25
2012年という意味を考え、10年ぶりに、仕様を元の形に。
ハードカバー A5判 302ページ


全7章からなる、「本」であり、マヤの叡智に意識をあわせ、実践的に身につけるための「コズミック・ダイアリー」です。
コズミック・ダイアリーはマヤの叡智から生まれた13の月の暦の公式ダイアリーです。

詳細・お申し込みは、こちらから

「マヤの叡智」の常識
ホゼ・アグエイアスのヌースフィア(精神圏)
「マヤの叡智」の常識 366ページ 3,150円(税込)
柳瀬宏秀著

「マヤの叡智」は「時間の叡智」
マヤの時間とは宇宙の周期。「時間の叡智」とは「高次元の叡智」なのです。 地球が自分の意識を表現するという時代が始まります。
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初詣の 願いを 祈りに
初詣の 願いを 祈りに 238ページ 2,000円(税込)
柳瀬宏秀著

9000万人の人々が、初詣に出かけます。 9000万人のほとんどが、自分のための「願いごと」をします。 9000万人の「願い」が、地球のための、宇宙のための「祈りに」変わったなら・・・ 日本人の「心構え」が変わり、、日本が変わり、宇宙が変わります。
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新版 マヤン・ファクター
      - 2012年の真実(リアリティ)
208ページ 1,785円(税込)
ホゼ・アグエイアス著
訳 柳瀬宏秀/福井久美子
監修柳瀬宏秀

周期が閉じるときに起こる重大な出来事に向けて、人類に準備を促すーー。 マヤの預言は、今日の世界を支配しているのとはまったく異なった時間についての感覚、その新しい知識についてのシステマティックなプレゼンテーションなのです。
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2012年への進化- ホゼ・アグエイアス伝記
448ページ 2,940円
ステファニー・サウス著
訳 井元悦子 監修 柳瀬宏秀

ホゼの半生をたどれば、マヤの預言が聴こえてくる! この物語は、預言に対するスピリチュアル・アドベンチャーであり、また今日この惑星に生きる人類のすべての
人生に関わる物語なのです。
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マヤの叡智と日本人の魂の融合
マヤの叡智と日本人の魂の融合 307ページ 2,000円(税込)
柳瀬宏秀著

コズミック・ダイアリーの精神、時間はオーガニック・オーダー(有機的秩序)について、わかりやすく解説
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9.11人類が、正義という呪縛から 解き放たれるために
128ページ 1,365円(税込)
柳瀬宏秀著

究極の非道徳とは、自然のリズムをはずした生き方をする、ということです。 どうしてか? それは、自然そのもの、宇宙そのものを破壊するからです。
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Detail(the article)(Diary詳細)
日時 KIN 87  倍音の月(22)01:57:23 (2011年12月6日)
タイトル 11月12日の講演会の記事
内容
今、講師養成講座から、戻ってきました。


先日の講演会の記事が、今日の宗教新聞に、1ページ全面で、

内容が紹介されていました。掲載紙が届いたので、

ご紹介します。




講演会「祈りのくにづくり」 環境意識コミュニケーション研究所
「惟神(かんながら)の祈り」田中恆清・神社本庁総長
「進化のための常識―エゴの願いから祈りに―)」柳瀬宏秀・同研究所代表

 環境意識コミュニケーション研究所(柳瀬宏秀代表)が主催する講演会「祈りのくにづくり」が十一月十二日、東京の大田区民ホールで開かれ、神社本庁総長で石清水八幡宮宮司の田中恆清氏と柳瀬代表の講演、対談が行われた。(文責・編集部)
 
㈰神道は「公」を祈る
 田中総長は「惟神(かんながら)の祈り」と題し、次のように語った。
 神社本庁が包括している神社は現在全国に約八万社、明治維新までは約十九万の神社があった。ところが、明治政府の神仏分離政策により各地の神社が統廃合され約十一万社に減った。
 神社神道には教義、教典がなく、それぞれの神社により様々な信仰があるが、すべて公的な信仰と言える。例えば、氏神は氏子の人たちやその地域の安定、発展を祈る。願いをかなえようと神社にお参りする人々と神々との、仲執り持ちをするのが神主の役割である。人々の願いを神主が神々にお伝えし、それにどう応えられるかは神々がお決めになる。こうした信仰は世界に稀であろう。
 日本人は古来、大自然の中に神々を見いだし、祈りを捧げてきた。そうした惟神の道が神道である。剣道や柔道、茶道や華道のように日本人は道を愛する民族で、神道はその根本の道である。
 道とは神々が定めた正しい生き方と言えよう。神道の真髄を、私は「中今」と「浄明正直」で説明している。過去や未来に煩わされることなく、生かされている今の瞬間を一所懸命に生きる、清く正しく正直に生きる――のが根本であるからだ。それを目標に、日々研鑽するのが先人の伝える信仰である。
 3・11の大震災では、日本人の秩序正しい、助け合う姿に世界から賞賛の声が上がったが、私たちには当たり前だった。戦後、日本人は個人主義が主流になったが、本来は共同体主義だと思う。地域は神社を中心にまとまり、助け合って暮らしてきた。
 個人主義は一神教から生まれたものだが、日本人は自然万物にも神々が宿るとしてきた。自然は二百年まえまでは自然(じねん)と言われていた。「自ずとそうなる」という意味で、人間もその一員であり、大自然に生かされているとの思いで、自然に、つまり神々に感謝しながら暮らしてきた。神道の祈りの中心にあるのは感謝である。ちなみに、ネイチャーのラテン語にも「自ずとそうなる」という意味がある。
 大震災で私たちは大自然の脅威を目の当たりにした。地震や台風などの災害を受けながら、先祖は日本列島で生きてきた。大災害を受けても自然を恨むことなく、共生(ともいき)の道を探ってきた。
 伊勢神宮の内宮には天照大御神の和魂(にぎみたま)が祀られ、その隣にある別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)には天照大御神の荒魂(あらみたま)が祀られている。日本人は神々の御神威には、優しさとともに荒々しさがあることを見てきた。その二つを、神宮は同じようにお祀りしているのである。
 
 被災者に教えられ
 大震災では一都十五県で約四千五百の神社が被災した。社殿が津波で流され、氏子地域が全滅した神社もある。神社の施設には多くの被災者が避難していた。神社は地域の人たちが折に触れて集まる安らぎの場だったからだ。
 岩手県大槌町にある小槌神社は社殿は無事だったが、周囲の氏子の家が流されていた。不思議なことに、多くの瓦礫が押し寄せたのは鳥居の前までで、鳥居は全く損傷していなかった。
 その被災者に「震災の夜、海は何もなかったかのように静まり、空には満天の星が輝いて地上を煌々と照らしていて、ありがたいと思った」と話す人がいた。大災害をもたらした自然に対して、恨みではなく、感謝の気持ちがあった。私はそこに日本人の自然観を感じさせられた。
 ご主人を亡くした女性の神主は、掛ける言葉もない私に、「亡くなった人のことを思っても、もう取り返しが付かない。それより、その命を引き継ぎ、苦しみ、悲しみを受け止め、一所懸命に生きていくことが私たちの役割だと思う」と話してくれた。そこに、今を懸命に生きるという、日本人の生き方を見た思いだった。
 当時、よく想定外という言葉が使われたが、大自然は常に想定外である。しかし、東北の大地震と大津波は貞観十一年(八六九)に起こり、今回と同じような被害があったことは、日本の正史である『日本三代実録』に書かれている。千百四十年前のことだが、命のつながりからすれば想定外ではない。先人の思いも受け止め、私たちはこれから復興に努めなければならない。
 
 神宮式年遷宮とは
 仏教伝来から約千四百年、神仏習合の信仰が日本人に定着してきた。一神教の世界では神か仏かと二者択一するが、日本人は神も仏もである。自分を超えた存在に畏敬の念を持つのが日本人の信仰の原点である。伝来した仏像を見た日本人は、外国の神はこんな姿をしているのか、と思ったという。そして、惟神の道に仏教をうまく融合させていった。世界に類のない信仰の形であろう。
 日本人はクリスマスにはキリスト教のことを考え、大晦日に除夜の鐘が聞こえてくると仏教のことを思い、元旦には全国の神社や寺に初詣をする。初詣をする日本人は一億五千万人で、いくつも回っている人がいる。こんな大らかな信仰は世界にない。
 日本人が宗教的に無節操だとは思わない。むしろ、そんな日本人を理解することによって、宗教にかかわる争いが、世界から少しはなくなるのではないかと思う。先人たちが長い年月をかけ、日本人だからできる祈りを伝えてくれていることに感謝したい。
 日本人はご縁を大切にする民族でもあり、その根底には神仏とのご縁がある。日本人は朝起きて夜寝る間に、様々な宗教体験をしている。神道は清浄をモットーとし、神社でお祓いを受けるのは、心身を清めるためだ。神前に神主を通して願いを伝えると、その後は、願いが通じるように毎日努力することが大切である。神道の祈りは、叶う祈りではなく、通じるために祈る祈りだと私は思う。
 日本人の暮らしには、ある期間ごとに蘇りの行事が組み込まれている。神道では毎年、六月三十日と十二月三十一日に大祓を行い、半年ごとに心身を清める。それによって、次の半年も神々の道に背くことなく、しっかり頑張ることを心に定め、新たな暮らしを始めるのである。
 平成二十五年には伊勢神宮で第六十二回の式年遷宮が行われる。二十年に一度、内宮、外宮の正宮を新築し、神宝御装束類を新調して神々にお納めする、国家的な祭である。二十年で建物が朽ちるわけではないが、建て替えることにより神々も蘇られるという考えに拠る。私はその遷宮にかかわる一人として、その意義を広く説明している。
 平成五年の第六十一回式年遷宮では、森林を伐採し、まだ大丈夫な社殿を建て替えるのは自然破壊ではないか、との声もあった。しかし、解体された社殿の用材は、全国の神社で再利用され、新しい命が吹き込まれる。一本も無駄にはされない。究極のリサイクルであろう。
 日本人は永遠を求める民族ではない。未完成なものの中に命を見いだし、それによって力を得て、次の段階に進んでいく。石の文化の西洋とは、考え方が逆である。そんな日本の歴史と文化が凝縮されたのが、神宮の式年遷宮だと思う。
 最近、伊勢神宮にはかつてないほど多くの人が参拝に来ている。昨年は過去最高の八百八十万人で、中でも若者が増えた。また、彼らはとても礼儀正しく、鳥居の前で一礼してから入り、神前では整然と列を成して参拝し、鳥居を出てから一礼し、神宮を後にする。そんな若者たちを見て、私は「日本はまだまだ大丈夫だ」と思う。日本人の原点回帰が進んでいるのであろうか。
 神道の祈りは常に公の祈りである。地域や国、そして世界が安寧であるよう、毎日、祈りを捧げている。そうした日本人の信仰が世界を平和にすることを、私は願っている。そのために、日本人の精神的支柱を世界に発信していきたいと考えている。
 
 生活に根付く神道
 コンビニで最も売れているおにぎりは、正しくは「おむすび」である。日本の八百万の神々の中で、すべての神々を結びつけるのが日本書紀では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)(古事記では高御産巣日神)で、そして神皇産霊尊(かみむすびのかみ)(同じく神産巣日神)がおられる。神道の信仰は結びの信仰と言えよう。共生(ルビ・ともいき)は神道では共生み(ルビ・ともうみ)と読むべきで、常に何かを生み出すことが信仰の中心となっている。そう考えると、おむすびにも日本人の生き方が凝縮されているのである。
 私も小さい頃、遠足にはいつも母が梅干入りのおむすびを作ってくれた。おむすびには、母の魂がしっかりと結ばれている。稲魂と言って、瑞穂の国の日本人は米にも魂があると思ってきた。母は米を研ぎ、お釜にかけて炊く。炊き上がると、母はまず手を洗う。これは清めの所作である。そして、手のひらに塩を塗るのだが、その位置は、たなごころと決まっている。その上に熱いご飯を載せ、両手できゅっと結ぶ。(まさに〝手塩にかける〟のである)母の力がたなごころを通し、稲魂を通して子供たちに伝わっていく。持ち運びやすさ、食べやすさだけのおむすびではない、日本人の魂が凝縮されているのである。
 神社にお参りすると拍手(かしわで)を打つのは、全身全霊が手を通して神々に通じるよう祈るのである。二礼二拍手一礼の参拝作法は明治期に制定されたものである。伊勢神宮では八拍手で、出雲大社や宇佐神宮では四拍手であるから、本来は礼や拍手の数は問題ではなかったのだろう。大切なのは自分の魂を集中させ、神々に祈ることで、その思いを通じさせるため、拍手という作法で心を表現していたのだと思う。
 結びは古くは「産霊」と書く。共生みの精神こそが日本人をしっかり結び付けてきた支柱であったと思う。その中心に神道があり、長い歴史の中で多くの人たちが信仰を捧げてきた。神道的な生き方が人々の毎日の生活に定着し、心に納められてきた。だから、世界を感動させたような行為が、3・11後の東北で見られたのである。
 神社本庁は寺院でいう大本山のような組織ではない。全国の神社が、それぞれの信仰をしっかり伝えられるようするための、並列的な集合体である。全国には、伊勢神宮よりも古い神社が多くある。日本人が育んできた信仰を、現代人が蘇らせることを、私は大いに期待している。
 十月二十七日、イタリアの聖フランチェスコの聖地アッシジで、ローマ教皇ベネディクト十六世の呼び掛けにより、二十五年ぶりに「真理の巡礼・平和の巡礼の集い」が開かれ、私は神社本庁を代表して参加した。このような催しがあるにもかかわらず、世界の宗教間の問題はまだ根強く残っているのが現実である。その中で、諸宗教の仲を執り持つことができるのは神道であろうと、私は自負している。そのためにも力を尽くしていきたいと思う。
 
② 対談 田中恆清総長・柳瀬宏秀代表
 二人の対談が次のように行われた。
柳瀬 神道の中今には、今という時間に意識があり、そこから過去と未来に時間が展開されるという時間概念に似ている。
田中 今この時を大切に生きるというのが日本人の信仰で、現実的な生き方だと思う。
柳瀬 ところが過去や未来のために今を犠牲にしている人が多い。日本人の個人主義も由々しき問題だと思う。初詣でも自分のためだけの願い事が多い。
田中 利己主義の面が強くなり過ぎている。もちろん神々が個人の願いをお聞きにならないことはないが、その中にその人なりの考え方があるのかが重要だ。
柳瀬 神社には白装束の人が掃除しているイメージがある。人々の思いや願いを掃き清めるところだと感じる。浄明正直は、無になれば宇宙に通じるというのと似ている。
田中 神主の白装束は清浄を意味し、境内は清浄を大切にするから、神主の第一歩は掃除である。その清浄な場所に、多くの人が願い事をしに来る。しかし、神々に通じないと願いはかなわないので、神主がその仲執り持ちをする。
柳瀬 伊勢神宮の式年遷宮には深い意味がある。意識を向けたい。
田中 伊勢神宮には百二十五のお社があり、その総称が神宮である。二十年ごとに建て替えるのは、内宮と外宮の正殿と十四の別宮で、宇治橋なども造り替えられる。それ以外の神社については、傷むと建て替えている。だから、神宮ではいつも社殿を建て替え、循環させている。
柳瀬 そこに共生みを感じて、参拝者が増えている。
田中 神宮に参拝した西行が詠んだ歌「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」に日本人の信仰観が端的に表されている。一神教は信じる信仰だが、神道は感じる信仰だ。神域の空間に身を置くことで、何となくありがたい気持ちになり、それが明日への力になる。
 先日、ドイツのクリスティアン・ヴルフ大統領が神宮に参拝された時、大統領は神道式の参拝をされた。その後の記帳で、大統領は「ここには何かある。大自然と共に生きてきた日本人の素晴らしい自然観に敬意を表する」と書かれたので、そう感じるのは世界共通ではないか。
柳瀬 聖フランチェスコも日本人のように小鳥と会話し、自然の教えを伝えた方だった。そのアッシジで開かれた宗教者会議とは?
田中 ローマ教皇に招待された世界の宗教の代表者が、宗教協力の進め方をそれぞれ語り、最後に教皇がバチカンの考えを述べられた。聖フランチェスコは鳥と話をしたとされるが、日本人は〝虫の声〟を聞くと言う。生き物にも言葉があるという感性だからだ。会議をアッシジで開いたのは、世界の隅々の声を聞こうとしたからではないか。
柳瀬 虫にも野菜にもなれるのが日本人の意識だったが、エゴを確立する戦後の教育は、日本人の意識の構造を全く理解せずに、そのせいで宇宙意識に近い感性が失われた。
田中 神道は日本人の生き方だと思う。道なので倫理道徳を大切する。それによって、世界から尊敬されてきた。根本には道の文化があり、道の付いた宗教は世界でも神道だけだろう。
柳瀬 宮司の著書の『神道のちから』では「神道は宗教を超えた宗教だ」と言っている。その力で日本の建て直しをしないといけない。ありがとうございました。



 ③「進化(のための常識)―エゴの願いから祈りへ―」柳瀬宏秀代表
 二人の対談に続いて、柳瀬宏秀代表が「進化(のための常識)―エゴの願いから祈りへ―」と題し、次のように講演した。
 物質的な進化、進歩はもう限界で、これからは精神的な進化の時代だ、と言われて久しい。進化とは? エゴを消す、無になる、宇宙の摂理に乗った生き方、ガイアという意識などなど。さて、進化のための常識は、「無」になることである。科学はある前提の上でなされる。その前提がどんどん変わる時代なのだ。ガリレオによって否定された天動説を、バチカンは四百年間捨てることができなかったが、前提を無にするのに4百年かける必要はない。
 日常的に「無になる」体験をしていれば、前提を変えることも、それほど難しいことではない。原子力発電所は安全神話の中で私たちが作ってきた。安全ではないことがわかった今、無になって、前提を変えることができれば、必然的に次の一歩に進める。
 これから、集合的なエゴの悪あがきが見えてくるかもしれない。割りばし追放運動があったが、割りばしの多くは間伐材で作られており、それによって少しは循環していた林業が、この運動のために難しくなった。そこで、最先端の環境運動では、間伐材の割りばしを使おうとしているが、あまり知られていない。しかし、割りばし追放運動が間違いだったと、誰も謝罪していない。無になれないからで、それほど環境意識の欠如した姿はない。
 今の大半の焼却炉では、ペットボトルを燃やしてもダイオキシンはほとんど発生しないことも、あまり知られていない。一緒に燃やしたほうが生ごみの焼却が効率的になっている現状があるのに、ペットボトルの分別収集に大きなエネルギーを使うことをやめることができない。実態を知らない消費者から、スーパーに環境意識がないとクレームが来るからだ。
 科学の前提が変わったときに、「無」にならないと、新しい科学を新しい前提の上に築くことができない。今後、人間が進化するためには、加速度的に「無」になる必要が起きてくるだろう。日常的に「無」になる習慣を付けることが重要で、進化するための最低条件が「無」になることだ。
 「虫の知らせ」という言葉があるように、日本人は虫から多くの情報を得ていた。田んぼにある虫が出ると、それが何を意味するか知っていた。昔のお年寄りはそんな叡智をたくさん持っていた。年を取るにつれ長老になっていった。
 昔の日本人は満月の日をみんな知っていた。一日が新月で十五日が満月のカレンダーを使っていたからだ。ところが今は、グレゴリオ暦を使っているので、月が大好きな人も満月の日を知らない。満月の日には大地が二十一センチ浮き上がる。太陽と地球と月が一直線に並ぶので、太陽と月の引力に引かれるからだ。一直線上にあるので、満月の月の出の時間は、太陽が沈む時。十六夜(いざよい)は、月が出るのをためらうという意味。十五日より平均約五十分遅れる。その翌日は立待月で、翌々日は居待月、十九夜は寝待月と日本人が呼んでいた。何時頃に月が出て、どれくらい欠けているか、みんな知っていた。月と通じ合っていた。
 昔、ほとんどの神社では新月と満月の日に月次祭(つきなみさい)が行われていた。宇宙から見ると、日本列島が呼吸しているように見えないだろうか。それほど自然と共振する民族だった。大自然を感じるのが環境意識の基で、エゴがあるとそれが難しくなる。だから、初詣の願いを「自分のための願いから、多くの人が乗れる(意+乗り)祈り」に変えたい。多くの人や自然が共感できるような祈りが必要である。
 八月六日、原爆の日の広島市長の今年のメッセージは、まだ被害者意識からの平和が中心だった。銀河から見ると、原爆の問題は、究極の非道徳なのだ。今、世界には地球を破壊できるほどの、二万発以上の核兵器が合法的に作られ、現存している。HIROSHIMAの人類に取っての重要性は被害者意識を超えて、銀河の視点から見ると、宇宙の破壊につながるからなのだ。エゴがその危険をもたらし、銀河の視点に立てない人類になっている。
 自分のための願いは排他的になりやすい。初詣で、自分のためだけの願いになりがちな、願いではなく、「祈り」になるなら、人類のベクトルが変わると思う。家内安全、商売繁盛のご利益だけを願うように勧める神社も多いが、それは惟神の道から外れているのではないか。
 満月の周期、月の公転周期、太陽の自転を総合すると、二十八日周期が宇宙の周期になる。それが人間の体の周期となり、遺伝子に刻み込まれている。自然のリズムに合わせるのが暦だったのに、今の暦は単なる数字の羅列で、自然を感じない人を、社会を生み出すプログラミングになっている。そのせいで、人間は地球や宇宙に意識を合わせられなくなっている。
 時間は直線的に流れるものではなく、時間は宇宙の周期。さらに、最先端の物理学では五次元時空間の世界があるとされ、その時間に合わせると、人は高次元にアクセスできる。それが、宇宙意識につながる、「無」になることの別の角度からの観点になる。叡智につながることによって、今までの常識を超えた力が現れることが、多くの人により科学的に示され始めている。つまり、進化に向けて舵を取り始めたのだ。
 

たなか・つねきよ
昭和19年(1944)、石清水八幡宮宮司の家に生まれ、現在、始祖から第58代の宮司。平成22年に神社本庁総長に就任。京都府神社庁長、全国八幡宮連合会総本部長、世界連邦日本委員会会長、文部科学省宗教法人審議会委員など務める。近著に『神道のちから』(学研)がある。

やなせ・ひろひで

やなせ・ひろひで
20年間電通でコピーライター、映像プロデューサーとして活躍し、2002年退社して現職。
昨年から「初詣の願いを祈りに」のテーマで連続講演を行い、12月28日には、書家の小林芙蓉、映画監督の白鳥哲、中澤英雄東大教授などとパーシモンホールで講演予定。著書は『「マヤの叡智」の常識』『初詣の願いを祈りに』(環境意識コミュニケ−ション研究所)など多数。
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